筑前たなか油屋の想い
福岡県筑紫野市原田は、江戸時代より幕府が日本で唯一外国との交易を行うため敷いた長崎街道の宿場町、「原田宿」として栄えてきました。
この地で米商人として家業えを営んでいた二代目弥四郎が明治34年、裏作で獲れる菜種を絞り、旅人へ灯明油の提供を始めた事が、筑前たなか油屋の起源とされています。
矢締めや板締めといった方法で搾油された菜種油は江戸時代より「油一升、酒五升、醤油一斗」と言われ 幕府のお膝元には油絞所が置かれる程、大変貴重な品として扱われていました。菜種油によって油屋の道 を切り開いた先代の教えを受け継ぎ、二代目弥四郎は、大正六年、新たに胡麻油の搾油を始めます。
昭和24年「田中油糧工業」として法人設立後事業は製パン、製麦、製粉と拡大していきます。しかし、昭和26年、国策による企業統制によって、事業の一本化を追られることになります。
弥四郎が選んだのは油でした。創業から貫いてきた品質本位、そして、「沢山売るより正直に作りたい」家業への誇りと信念を強固にする選択でもありました